過去の話
学生時代はいじられキャラというものを僕は演じていた。
いじられたりすることが楽しいと自分を洗脳し、どんな酷いことをされてもいつもヘラヘラして我慢していた。
それに、わざといじられるような言動をしてみんなから注目してもらおうとしていた。
それは全て裏目に出て、僕はみんなの笑われものだったし、それ以外でも色々傷ついてきた。(何も秀でたものがない僕はそれ以外で自分を表現する方法がなかった。(口先だけ何にも努力しない怠け甘えゴミ人間だから当たり前)他人に注目される手段がこういう奇異な行動しか僕にはなかった。)
そうしないと自分の居場所なんかないと思ってたし、孤独が怖かったのだ。
あと、そうすることで自分が余計に傷つかないで済むと思った。あの時、やり返すことも見返してやろうと思うこともその本心を相談することもできない僕はすごく弱い人間だったと思う。
今になって思えば無理に誰かといようとすることになんの意味があったのだろうか?
友人の数=幸福では決してないのにね。
だからもう道化を演じるのはやめた。
もうそうまでして誰かに好かれなくていい。
孤独は寂しいけど、自分を押し殺してまで誰かといたくない。
無理に誰かといようとする努力するよりも、孤独であろうとも楽しむ方法を考えていくほうがよっぽど有意義である。
自分に似合わないことをして、他人に媚を売り好かれようとしたり、他人の価値観に無理に合わすことほど精神をすり減らすものはないのだから。
(久しぶりの更新だったのに内容がかなり短くて全く面白くなくてすまない。
本当はツイッターに書くつもりだったけどこっちに書いた。)